西洋人もびっくり!高さ約2メートル、有田焼の大花瓶
横山美術館(名古屋市東区)の2階展示室入り口では、高さ約2メートルのとても大きな花瓶が皆様をお迎えしています。
この花瓶は今から約150年前の明治時代に作られたとされる、有田焼(佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器)の大花瓶です。海外に輸出されていたものの里帰り品となります。大人も見上げるほどの大きさ!
ちなみに下の写真のように、2つのパーツに分けることができます。(めったに分けません)
上部 約56.5センチ
下部 約142センチ
染付の藍色と赤の上絵をベースに、金彩で鳳凰や獅子などの吉祥文が描かれ、豪華さと緻密さが調和した明治期の代表作といえます。
明治時代の有田焼は、江戸時代のものに比べるととても大きくなります。
江戸時代の有田焼の輸出品では、高さ90センチの壺などが最大級であるのに対し、明治時代はこの花瓶のように、180センチ超えのものが作られていました。
明治期は江戸時代を超える技術があったことが分かります。
このような有田焼の大花瓶は、当時海外で開催された万国博覧会に出品され、好評を得ていました。当館のこの大花瓶も、もしかしたら当時の万国博覧会に展示されていたものかもしれません。
有田焼と万国博覧会
当館所蔵の有田焼の大花瓶は他にもあります。
有田は17世紀初めに、日本で初めて磁器の生産が行われた土地です。
絵付は染付の藍色に金や赤の配色を基本とし、その豪華さがヨーロッパの貴族たちの目を奪いました。17世紀後半には輸出され、宮廷や邸宅を飾る役割を果たしていました。
その後、再び有田焼が注目を集めるのは明治時代。
日本政府がはじめて公式参加した明治6年(1873)のウィーン万国博覧会(以下・ウィーン万博)では、日本のさまざまな工芸品が出品されました。その中には有田焼も多く展示されていたようです。
墺国博覧会場本館日本列品所入口『墺国博覧会参同記要』明治30年
東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives
上の写真、右手前の花瓶が有田焼の大花瓶ですが、この花瓶の高さは185cmもあったそう。このような豪華な絵付がされた大花瓶はヨーロッパの人々を魅了、やがてジャポニスムとよばれる日本趣味のブームにつながっていきます。
ちなみに左手前に見えるのは、名古屋城から降ろされた金シャチです。
万国博覧会参加の目的に、
日本国土の豊かさと優れた伝統技術を海外に紹介し、出品した産物や工芸品などの輸出増加をめざすこと、これに対して西洋の近代文化を学び、機械技術を伝承するための技術を養成すること 〈後略〉
――「東京国立博物館HP 館の歴史 2.ウィーン万国博覧会 近代博物館発展の源流」より引用
とあったように、輸出増加を見込んだ日本の技術の紹介と西洋の文化を学ぶことが当時の大きな目標でした。
この目的のもと参加したウィーン万博で、なんと有田焼は賞を受賞。
さらには冒頭の写真のような大花瓶や、火皿などの大物の陶磁器がヨーロッパの人々を驚かせました。
日本の技術の高さを世界にアピールすることに成功したウィーン万博。
特に陶磁器など工芸品の評価が高く、その後、日本の陶磁器はさかんに輸出されるようになります。美しく豪華な陶磁器は、外貨獲得のための主力商品として、輸出品の中でも重要な位置づけとなりました。
ヨーロッパの人々を驚かせた有田焼の大花瓶。
当館で見られるこの大花瓶も、近代日本の礎を築いた立役者だったといえるでしょう。
横山美術館は写真撮影OKですが、とりわけこの大花瓶はオススメです!
参考文献
・田中芳男、平山成信編『澳国博覧会参同記要』森山春雍、1897年
・鈴木由紀夫監修『明治有田 超絶の美』世界文化社、2015年
・『横山美術館300選』公益財団法人横山美術館、2017年
・東京国立博物館ホームページ https://www.tnm.jp/