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オンライン展覧会「優美な曲線から歴史が伝わる カップ&ソーサー物語」

横山美術館では2021年10月3日(日)から2022年1月10日(月・祝)まで、企画展「優美な曲線から歴史が伝わる カップ&ソーサー物語」を開催しております。

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今回の展覧会は、広く皆様にもご覧いただけるよう、note内でオンライン展覧会の販売を試みることにしました。
この展覧会は巡回の予定はございませんので、名古屋には行けないという方は、ぜひこちらでご覧ください。今年の図録もありませんので、図録代わりにもいかがでしょうか。
作品画像、解説、銘画像、掲示しているパネル(noteではコラムとして掲載)を載せていますので、展覧会と同じ内容をお楽しみいただけます。

作品数87点を掲載、料金は300円です。通常の入館料は1,000円なので、かなりお得にご覧いただけます。お時間がある時にゆっくりご覧ください。

購入を希望される方は、無料公開部分の下の「記事を購入する」をクリックしてください。ご購入後は展覧会終了後も無期限でご覧いただけます。

展覧会ではスペースの都合上書けなかったけれど、オンラインでは「担当学芸が本当は書きたかったこと」も少し追記しております!
では、長いですがどうぞ💁‍♀️


ごあいさつ

コーヒーや紅茶をたしなむ時間は、ほっとする一瞬ではないでしょうか。美しく華やかなカップ&ソーサーは、その時間に彩りを与えてくれるものといえるかもしれません。また、器はおいしく味わうため、形や大きさなどさまざまなバリエーションで作られました。
日本国内でのカップ&ソーサーの生産は、有田で輸出向けに製作していた17世紀中頃が始まりとされていますが、本格的に生産が始まったのは明治時代前期からです。その大きなきっかけとして、明治6年(1873)に開催されたウィーン万国博覧会が挙げられます。この万国博覧会を皮切りに、日本の陶磁器が注目を浴び、やがて陶磁器輸出の全盛期を迎えます。日用食器ともいえるカップ&ソーサーも数多く輸出されていました。

しかし、これまでコーヒーや紅茶に馴染みがなかった日本。ハンドル付きのカップも未知のものでした。カップにハンドルが付けられていることで、焼成するときに歪みが生じてしまうため、製造は困難を極めたといいます。また、幕末から生産を開始していた産地と、明治時代以降に本格生産を始めた産地では、完成度に大きな隔たりがありました。コーヒーや紅茶への認識の差から、後発の地域では、カップとソーサーの大きさのバランスが取れていなかったり、厚さにばらつきがあるなどといった課題がありました。こうした問題があった中、明治10年代に転機が訪れます。ハンドルによって生じるカップの歪みについては、瀬戸や美濃で口縁を下にして焼く伏焼ふせやきが考案され、解消されました。また、ウィーン万国博覧会以降、日本にもたらされた石膏せっこうによる鋳込いこみ成型の技法により、カップとソーサーの大きさや厚さが整うようになります。
これにより周囲の地域でも、カップ&ソーサーが続いて製作されるようになりました。瀬戸や美濃をはじめ、九谷、京都、有田、薩摩などの従来の産地のみならず、東京や横浜、名古屋といった新興の土地でも素地を取り寄せて上絵付を行うようになります。日本画のような繊細な花鳥や、まるで油彩画のように重厚感のある洋風の薔薇、さらには、緻密な人物画を描いたものや、点盛や金彩を施した豪華なものも作られました。出来上がった美しいカップ&ソーサーは、海を渡り、テーブルを華やかに演出しました。
本展覧会では、明治・大正時代に日本の各産地で制作されたカップ&ソーサーの他に、コーヒーや紅茶、ホットチョコレートを飲むためのセット作品を展示しています。大変な試行錯誤の末に生み出された数多くの優品をご覧いただきます。100年以上経った現代を生きる私たちも、その美しさに目を奪われることでしょう。

No.1 釉下彩竹図チョコレートセット
西浦にしうら圓治えんじ、明治時代後期、「西浦」染付銘

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西浦焼は明治時代の美濃焼を代表する一つで、釉下彩はその代名詞ともいえる。型紙を用いて絵具を吹き付ける吹絵により、葉に濃淡をつけることで竹図を表現している。


No.2 上絵金盛風景図ティーセット
オールドノリタケ、明治44~大正10年頃、M-NIPPON印

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カップとソーサーの見込み、ポットの胴部にのどかな風景を描く。「女王の色」といわれる深い赤色のマロン色を用い、金盛を施した豪華なティーセットである。


コラム:オールドノリタケ

明治時代中期から第二次世界大戦終結の間までに森村組と日本陶器が製造販売し、アメリカを中心に輸出された陶磁器を「オールドノリタケ」と呼ぶ。
明治9年(1876)、旗本の御用商人・森村市左衛門が、東京・銀座に商社「森村組」を創業。明治15年(1882)にはコーヒーカップの制作に取り掛かった。瀬戸の川本桝吉ますきちから素地そじを仕入れ、名古屋に集約した工場で絵付けを施していた。また欧米の市場で現地メーカーと肩を並べるために、絵付のデザインを従来の日本風から洋風へと変更した。この路線変更は画工たちの反対はあったものの、結果的に成功し、アメリカで人気を得ることとなった。
オールドノリタケのカップ&ソーサーには、アール・ヌーヴォーやアール・デコなど、時代の流れに対応したさまざまなデザインがある。カップ&ソーサーをはじめとした洋食器にかけた彼らの熱意を、作品から感じ取ることができるだろう。


No.3 上絵金彩白鳥梅図ティーセット
オールドノリタケ、明治44~大正10年頃、M-NIPPON印

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米国向けに登録した銘である。鮮やかな青色を背景に、梅の枝が花を咲かせ、水面には白鳥が浮かぶ。口縁部やハンドルは金彩で装飾されている。調味料入れも付随するセット。


No.4 上絵金盛花図ティーセット
オールドノリタケ、明治24~44年頃、メープルリーフ印

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深い赤色絵の具のマロンを用い、金盛を施した豪華なティーセット。カップやポットは12弁の花をモチーフにした特異な形状で、足は3か所の付け足で金の彩色がされている。


コラム:紅茶の歴史

茶の原産は中国で、7世紀に遣唐使により日本へもたらされた。ヨーロッパへはオランダ東インド会社によって17世紀頃紹介された。伝わった当時は緑茶であったが、その時人気だったウーロン茶に合わせて発酵を進めているうちに、強く発酵した紅茶が誕生したといわれている。
美しい壺に入った茶は「東洋の神秘薬」として、西洋で歓迎された。輸入が安定してくると薬としての意味合いだけでなく、上流階級の人々にとってのステータスシンボルともなって愛されていた。
日本の歴史で紅茶が登場するのは江戸時代。日本で最初に紅茶を飲んだのは、伊勢の船頭、大黒屋光太夫が漂着した先であるロシアで飲んだとされる。明治時代以降は、アメリカなどに輸出するため、栽培法などの研究が進められた。昭和46年(1971)、紅茶の輸入が自由化され、世界の紅茶が気軽に楽しめるようになった。


No.5 コバルト金盛白鳥風景図ティーセット
オールドノリタケ、明治44~大正10年、M-NIPPON印

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瑠璃色の地に金彩や金盛を施し、窓絵に白鳥がいる風景を描いたティーセット。同様の絵柄の作品は、他に大花瓶などが存在する。


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