見出し画像

子どもがいるやきもの

こんにちは、横山美術館です。

本日(※投稿当時)5月5日は、こどもの日🎏なので、子どもが表された作品を紹介し、それに関連した話を書きたいと思います。

画像1

石黒香々(いしぐろ・こうこう)「高浮彫生花用皿」明治時代前期~中期

初回(前回)の記事で取り上げたきらびやかな花瓶とは全く雰囲気の異なるこの作品、隅田焼と呼ばれるものです。

🔼初回の記事はこちら


隅田焼の詳細は後ほどにありますが、まずは作品を見てみましょう。


楕円形のうつわを水面に見立て、中の泉をのぞき込む10人の男の子。
これはうつわに水を張ることで、子どもたちが水辺に集まる場面が完成します。

画像2

子どもたちは皆、真顔ですが、ふっくらした頬に子どもらしいかわいさを感じることができると思います。
笠をかぶったり、髪型に変化をつけるなど、人物表現に工夫が見られます。

画像3

そしてよく見ると、手を重ね合わせている子どもも…!
また、白地に青い文様の着物や頭にかぶった手ぬぐいは、染付で作られています。

一風変わった作品のように見えるかもしれませんが、よく見ると細部にまで工夫がされているのが分かります。



隅田焼とは

明治~昭和期にかけて、横浜から輸出され、欧米を魅了した陶磁器の一種。
隅田焼の「隅田」は、東京の隅田川に由来します。
愛知県瀬戸出身の井上良齋(いのうえ・りょうさい)が、明治8年(1875)、隅田川沿いの浅草橋場町に窯を築いたことがはじまりです。

画像4

井上良齋「高浮彫群猿花瓶」明治時代

立体的な造形物を貼り付ける高浮彫(たかうきぼり)の技法を多く使い、上部に釉薬(うわぐすり)を掛け流した作品が数多く作られました。
本記事最初に載せた、子どもがいる生花用皿も高浮彫です。

画像5

上の作品の拡大図。釉薬を掛け流しています。


使われた色は朱色や黒が多く、緑や青も用いられています。

着物を着た人たちや僧侶など、江戸の文化を思わせるモチーフが装飾され、横浜港から海外へ輸出されました。

画像6

石黒香々「高浮彫人物花瓶」明治時代前期~中期
桃を手に持つ女性と、足元にしがみつこうとする子どもたち

画像7

原娪山(はら・ござん)「高浮彫僧花瓶」明治時代前期~中期
片肌脱ぎの僧たちが表現


大正3年(1914)、三代井上良齋は横浜市中区井土ヶ谷に窯を移しますが、同12年(1923)の関東大震災により壊滅。のちに横浜市南区永田町(現・永田東1丁目)に再び、登り窯を建てました。
この窯は残っており、今も隅田焼の歴史に触れることができます。


分からないことも多く、まとまった数見られる機会が少ない隅田焼ですが、横山美術館では数多く見ることができます。
生命力あふれる隅田焼をぜひご覧ください。

参考文献
・ハーバード・カープ、ガードナー・ポンド・著/横山博一・訳「『隅田焼―奇知に富んだ生命力溢れる輸出陶磁器―』2007年
・『横山美術館300選』公益財団法人横山美術館、2017年


いいなと思ったら応援しよう!

横山美術館
これからの美術館運営のため、ぜひサポートいただけますと幸いです。

この記事が参加している募集