陶磁器に描かれた説話を調べてみました
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陶磁器に描かれた説話を調べてみました

横山美術館では、明治時代以降に海外へ輸出された陶磁器を展示しています。
それらの花瓶や壺には、文様だけでなく、説話や歴史上の出来事の一場面が絵付けされたものが多くあります。

今回は、現在(※2021年7月)展示中の作品で説話などが描かれたものを取り上げ、その内容を調べてみました。
なお、本記事の内容は、絵柄などから筆者が推測できた範囲から、詳細を省略しつつ書いたものになります。さまざまある見方の1つとして、お楽しみいただければ幸いです。


①上絵金彩武者図花瓶(京薩摩)

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明治時代中期~大正時代に作られた、京都の錦光山宗兵衛による花瓶。

こちらの花瓶、明確な情報がないので推測になりますが、平安時代後期の武将・新羅三郎(しんら・さぶろう)が笙を吹く場面を描いたものではないかと思われます。
アングルが違いますが、似た場面を浮世絵師の月岡芳年(つきおか・よしとし)が明治22年(1889)に「月百姿」という揃物の一つに描いています。

月百姿

月岡芳年「月百姿 足柄山月 義光」明治22年、国立国会図書館より

他にも、同じく明治の浮世絵師・楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)が「日本歴史教訓画 一 新羅三郎時秋 」に描いていたり、ほぼ同時代に湯川松堂(ゆかわ・しょうどう)という画家によって杉戸絵として描かれていたりなど、この場面は多く絵画に表されてきたようです。


新羅三郎とは
新羅三郎は源義光の名前の方が有名かもしれません。近江国の新羅明神で元服したことから、新羅三郎と呼ばれました。
後三年の役(寛治元年/1087)での兄・義家の苦戦を聞き、官職を辞めて、はせ参じた話が語り継がれています。

豊原時忠に笙を習い、奥儀に達した三郎。
後三年の役で兄を助けるため奥州に下った時、自分が戦死するかもしれないと考え、笙の師匠の子である時秋に、足柄山で秘曲を伝授するところを描いたと考えられます。
ですが、この花瓶だと時秋だと思われる人物が左奥に描かれ、三郎と距離があることにやや疑問が残ります。

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三郎が笙を教えたとされる場所は神奈川県南足柄市であり、同市には新羅三郎義光吹笙之石があります。

この話にちなみ、昭和47年より、静岡県小山町と神奈川県南足柄市が合同で足柄峠笛まつりを開催しています。


②上絵金彩窓絵説話図大花瓶(一対)(瀬戸焼)

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瀬戸の川本桝吉によって作られた白い素地に、横浜の山下民松によって絵付けがされた明治時代の大花瓶。それぞれ4面の窓絵が設けられ、さまざまな説話が描かれます。向かって左が牛若丸(のちの源義経)と武蔵坊弁慶が京都・五条橋で出会う非常に有名な場面です。

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1,000本の太刀を集めるために、夜な夜な五条橋で刀を持った人を襲っていた弁慶。あと1本というところで笛を吹く美少年出会います。この美少年が牛若丸です。
弁慶が牛若丸を攻撃すると、彼はひらりと飛んで攻撃をかわし、弁慶を返り討ちに。この敗北から弁慶は牛若丸に従い、平家討伐に貢献することとなるのです。

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『義経記』には、牛若丸と弁慶の出会いを含め、義経の生涯が記されています。また、この出会いについては「橋弁慶」という演目で能や歌舞伎で演じられてきたり、多く絵画に表されてきました。

また、京都・五条大橋近くには二人の像が建っています。


③上絵金彩武者図大皿(九谷焼)

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こちらは宇治川の戦いの一場面、「宇治川の先陣」を描いた九谷焼の大皿。
宇治川の先陣の内容は『平家物語』巻第九に記されています。

宇治川の戦いとは、木曽義仲と源頼朝が派遣した源義経・源範頼の間で起こった戦いのこと。
寿永2年(1183)、木曽義仲は以仁王(もちひとおう)からの手紙をもとに挙兵、京へ向かいます。無事京に上洛し、義仲は天下人となりました。

しかし、天下人としておごり高ぶるようになった義仲。
その行いによって、朝廷の自分に対する対応が粗雑になっていくことに焦っていきます。ここで義仲は後白河法皇を幽閉し、朝廷を意のままに操ろうとする暴挙に出てしまうのです。
この義仲の暴挙をチャンスと見た源頼朝は、義経とともに京に大軍を派遣。義仲はこれを恐れ、京を出て宇治川を渡り故郷・木曽路に帰ろうとします。

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「宇治川の先陣」は、源頼朝の家臣であった佐々木高綱と梶原景季による、どちらが先陣を切るかの争い。宇治川を渡り切ることがこの戦いの先陣であったため、2人とも泳ぎ切るために必死です。
そこで高綱が景季に対して「馬の腹帯が緩んでいるので締めよ」とウソの助言をします。景季が油断したすきに高綱が宇治川を渡り切り、先陣を奪い取るのです。

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この大皿に描かれた内容はここまでですが、その後の義仲の話も書いておきましょう。
宇治川の戦いの後、義仲は後白河法皇を拉致しようとしますが失敗し、木曽谷に退却。後白河法皇は義仲追討を命じます。源範頼・義経の軍勢により、近江・粟津で討たれてしまいました。



陶磁器にも語り継がれてきた説話や歴史の一場面が描かれており、精緻で細やかな絵付けがされています。当時の絵付職人たちの技をぜひ美術館でもご覧ください。

現在、企画展「近代日本の礎となった 明治大正の焼き物」を開催中です。
①と③は企画展展示室、②は常設展展示室に展示しています。






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2017年に開館した名古屋市東区にある美術館です。館内は写真撮影OKです📷 明治・大正時代に制作され海外へ輸出されていた、豪華で華やかな陶磁器を数多く展示しています。noteでは輸出陶磁器の魅力を発信に努めます!